堀嵜菜那/horisakinana

個人的ないろいろ

壺というアルバム⓪曲作りについて

もうすぐ手元に届く「壺」というアルバムについて何か説明したいのですが、自分の作る曲に共通するテーマとかはない気がするので、まず曲作りについて書いてみます。

 曲を作るときずっと変わらずに「こんな曲が、こんな曲を作る人が1人くらいいてもいいんじゃないか」という意識があります。これは書き出すと長いので端折りますが、曲を作りだした2010〜12年の間、周りには「初心者ながらいきなり凄い音楽を作る無名の人」が沢山いて自分と比べては落ち込むを繰り返してたら「創作は才能(そんなものは本当は存在しない)のある人達のもの」だと言われている気になってきて、で勝手にむかついて「なにもなくても、立派じゃなくてもなんでもやって良し」と強く思ってます。センス(未確認生命物体)ある人達とは無関係であろう、誰にも知られなくともひっそりやろうと思って2015年に人に誘われてソロを始めて「遠くの記号」という曲を作りました(なのでライブに誘ってもらえるの毎回ウソみたいです。ありがとうございます。)。この恨みのような(才能がどうのの)偏見はすっかりないです。 
 
新しいと思うものや面白いと思うもの、手触りの感じるものが好きなのでそうなったら良いなと思って作ってます。第三の選択肢をいつも見つけたいです。 「壺」に収録されてる曲は自分がそう思ったもの・見つけれたものが多いです。単純にいいような気がすると思ったものもいれてます。 その時にはまっているもの・強く憧れたものに影響を受けやすく、気分に左右されています。なので全部違う曲になってると思います。今後も左右されまくると思います。
 曲を聴いてくれた方によく「論理的」みたいなことを言われますが、そういうつもりはなく、目をつぶって粘土を適当に捏ねてたら出来たものみたいな感じです。目的地を決めず足元だけ見て一歩ずつ足場を作って進むみたいな。それで顔を上げたときに知らない場所にいけてたらいいな~面白いな~と思ってます。 
 
ずっと変わらないものはもう一つあって、曲を作ろうとする時の、砂漠の真ん中にいて日陰に行きたいのに足の出し方が分かんないみたいなライトな絶望感です。曲がなにで出来てるのかわからないです。耳を動かそうとしてもどこに意識を集中させたら良いのかわかんないのと同じです。だから凄く曲が歪になってしまうし、少なくとも8曲も作れたのは自分には奇跡です。 今回のアルバムは、聴いた人が良いと感じるかはわかりませんが、なにか壊れるものがあるのでは、と思います。聴いてもらえたら嬉しいです。